工学≠応用理学

以前のエントリーで工学は応用理学ではないと書きましたが、ちょっと自分なりに纏めてみます。
日記を再開してほぼ1ヶ月になるわけですが、今まで書いてきたエントリーを振り返って見ると、なぜ意見が食い違うのかというテーマが多いですね。主張が対立する背景を自分なりに推測して、その対立軸を明らかにしようというような。そのようなエントリーが多くなってしまうのは私自身の過去の経験が影響しています。
企画という言葉を聞いてどのようなことを連想するでしょうか。何かかっこいいイメージを抱いている人が多いかと思いますが、実情はまた異なります。はっきり言うと利害関係の調整です。何かを企画するときには異なる価値観に基づいて行動する複数の関係者がいます。例えば経営者があることをしたいといって、それを実現しようとしたときに、そうはいっても経理部門はコスト低減したいですし、現場はいまでも手一杯でこれ以上余計な仕事を抱え込みたくないかもしれません。そのような利害関係が対立する中で、とりあえず納得してもらえるような落としどころを見いだしていく、それが企画屋の日常業務となるわけです。このように書くと全然かっこよくありませんよね。すごい企画屋は利害関係を調節しながら、自分が思い描いている理想に誘導していくんですが、それに対して私はというと足元にも及ばない・・・まあこれ以上書くのはやめにしましょう(苦笑)。
そのようなことをしていると、意見の対立などは日常的に見るわけです。そして、水掛け論になるときはお互いの価値観、行動原理の違いを理解していないときに起こりがちです。もちろん、自分の立場を超えて相手の立場を理解して行動してもらえる人はどの部門にもいて、そのような方にずいぶん助けられました。なんとかやっていられたのはそのような人のおかげであると言って過言ではありません。まあ、余裕が無くなると理解はできても行動はできないとなるわけですが。
そんなことをしていると、何をしているかではなく、何故そうしているいるかを意識しがちになってしまいます。ただ、普段はそのようなことを意識していては効率よく業務をこなせるわけがありません。何をすべきかかは、無意識で体で覚えている、手が動く状態でないと達人とはいえないでしょう。ただし、上達するときでも、新しいことにチャレンジするときでも無意識に行っていることをあえて意識化する必要があります。そのあたりは暗黙知とかの知識管理でよく議論されていますよね。プログラミングの分野でも「ハッカーになろう (How To Become A Hacker)」で、5つのプログラミング言語を覚えようという主張も、自分の経験で築き上げた無意識に理解している経験を意識化することで、それを見直してさらに向上させることにつながるわけです。
そして、工学(Engineering)が応用理学ではないというのは、設計とはお互いに対立することもある要求の中でトレードオフを考えて落としどころを見いだしていく意志決定であるからです。そしてすばらしいエンジニアはそのようなトレードオフを考えながら自分の理想を実現していきます。そのようなエンジニアが理想ですけど、そうなるのはなかなか難しいですねえ。