生物、社会等をシステムとして捉える
今回の金融危機などで"collateral damage "の可能性が事前に見過ごされてしまうのはなぜかと思ったところから疑問が生まれたのですが。なぜ発生したのか、どのように対策すればについていろいろ議論されていますが、すれ違いも多々見られます。心理、社会、経済などの分野で議論のすれ違いが起こるのは、一つには動的な振る舞いの見方の違いがあるのではないかと前から思っていました。そのようなことを思うようになったのは、心理学における行動主義と認知主義の違いとか、情報システムの振る舞いを記述するのに、状態遷移図と相互作用図の2種類の系統があるとか連想したからなんですが。
例えばUML(wikipedia:統一モデリング言語)では、静的な構造をクラス図等で記述し、動的な振る舞いは、大きく分けて相互作用図系と状態遷移図系の2種類の系統に分けられる図で記述します。相互作用図はシステム構成要素の間での処理の流れを記述し、状態遷移図では、システム構成要素内での状態の変化を記述します。それぞれシステムの動的な振る舞いを異なる側面から見ただけなので、一方の見方だけで記述しきれるでしょうけど、動的な振る舞いという把握しにくいものの相互理解を容易にするために、いわば情報を縮減した2系統の図を併用しています。
経済学における新古典派経済学vs行動経済学も、心理学における行動主義vs認知主義と同じように私なんかには見えます。どちらが正しいというよりも経済に対する見方が違うだけ。心理学において行動主義が先に成立して認知主義が後で交流してきたのは、ひとえに理論の検証手段の制約によるところが大きいと思います。行動主義における刺激−反応という理論は観察しやすいですが、生物の内部状態を測定する技術の発達には時間を要しました。最近ではfMRI等で非侵襲的に脳の活動を測定することが出来るようにまでなりましたけど。
そんなことを考えていると、システムを捉える理論の歴史を確認しようと言うことで、「一般システム理論――その基礎・発展・応用」を読んでみました。システムとして現象を捉える方法の源流をたどっていくと、明確にシステムという言葉を意識的に用いたは一般システム理論(wikipedia:一般システム理論)だと思います。昔読もうと思って買っておいて、そのまま引っ越しの時に行方不明になったままで未読だったんですが(汗)。
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動的な振る舞いの記述法として、内部的記述と外部的記述という2種類の方法があると述べられていて、内部的記述は状態遷移図に対応し、外部的記述は相互作用図に対応します。よく考えてみれば、一般システム理論は情報システム構築方法論への影響もありますから、2種類に分けて考えるという源流はこの一般システム理論にあるのでしょうね。
あと、わざわざ一般システム理論と名付けているように、システムに関する普遍的な理論を目指していたようですが、観測、検証の困難さを考えれば、実現は困難なように思えます。一般化の方向としては、
- 分野に限らず、相互作用のあり方には一般的な法則性が見られる
- 人間の相互作用の理解の仕方には一定の枠組みがある
の2種類が考えられますが、あくまでも前者を目指して、後者を無意味と否定していますが、私なんかはどちらも有りだと思いますが。
ベルタランフィは一般システム理論の提唱者ではありますが、第二次世界大戦前後のオーストリアという微妙な政治的な位置にある場所で学究としての生活を送ってきたこともあっててか、自由意志に対して強い思い入れを感じ取れました。「越境する巨人 ベルタランフィ―一般システム論入門」の記述を見ても、一般システム理論が政治、経済の面での全体主義的な手法として使われることには強い危惧と反対の主張が見受けられます。このあたりハイエクと共通するところがあるような。私には奇異に観じられる目的論の主張も、システム理論と自由意志を両立させるためのものであったのかもしれません。自由意志とはなにかは、やっぱり難しい問題ですね。社会システムの一員としてみた場合、自発的に行動しているのか、自発的であると思わされているのか、そしてそれは仕方ないことなのか、拒否すべきものなのか、いまの私には何が良いか分かりません。
一般システム理論を丸ごと信じることは出来ませんでしたが、創設者の手による古典は結構考えさせられる種が多くて面白いですね。