Study? Research?

科学の四象限について - 赤の女王とお茶をで、研究活動の分類について考察されていますが、日本で研究という言葉が定着する過程で、本来異なった意味合いの概念が混同されているように思えます。英語では"study"と"research"という異なる言葉で表現されている活動が、日本語では研究という単一の単語で表現されているのでは。なので、わざわざ基礎研究(="study")とか応用研究(="research")という区分けが必要になっているのではないでしょうか。"Study"はその活動そのものが目的で、"why"を追求すること。"Research"は、R&Dという言葉があるようにあくまでも目的を達成ための活動の一つで、開発における"how"に結びつけるために、"what"をはっきりさせること。
この手の議論で前から気になっていたのですが、研究者の活動を支える側の視点が欠けているような。このような議論がなされるのは研究資金をどう確保するかという切実な問題が背景にあると推測しますが、研究者の中に閉じて議論しても結局パイの奪い合いにしかなりそうにありません。趣味って、同好の士以外には理解不可能なほどお金をかけたりしますよね。つまり人は役に立つことだけではなく、面白いことにもお金を払います。研究を面白いと思ってくれる人が増えてくれば、公的資金による支援も正当化されやすくなると思うのですが。基礎だ応用だという議論は、内輪だけで閉じこもって大衆文学を見下して、そのあげく売れないことを嘆く純文学と同じ構造を感じます。研究とは何かを議論するときには、研究資金を提供する側の視点も必要だと思います。