社会現象を数値に基づいて判断する

現在はGoogleWikipediaなどの情報技術の発展によって膨大な知識に容易にアクセス出来ます。そのため情報の洪水によって必要な情報にたどり着けないことが問題としてよく認識されていますが、もっと本質的なことが忘れられてないでしょうか。そう、どんなに情報技術が発展したとしても、分かっている情報にリーチすることは出来ても、なにが分かっていないかを知る手だてはないのです。
普段何気なく目にしているもので、当たり前のように感じているものでも、どうしてなのかは案外解明されなかったりします。なんらかのきっかけで疑問に感じた人がいれば、それが未解明の現象と認識され、あるものは解明され、あるものは未解決の問題と見なされたままになります。そこで専門家は既知の知識を手がかりにして、未知の現象を含んでいるかもしれない対象に対して日々判断を行っているわけです。結果として適切な判断であった場合もあれば、残念なことに不適切な判断を下してしまった場合も起きます。経営不振という結果につながるときもあれば、人命に関わる医療過誤となってしまうこともあります。
では我々はどうすればいいのでしょうか。その一つの回答が「その数学が戦略を決める(原題:Super Crunchers: Why Thinking-by-Numbers Is the New Way to Be Smart)」に書かれてあるデータに語らせることです。

その数学が戦略を決める

その数学が戦略を決める

現段階では気付かれてもいない法則があったとしても、それは取得されたデータの中に現れてきます。そのデータの中に隠れた事実を見つけ出し、その結果に基づいて判断した方が、専門家の経験に基づく判断よりも適切になりつつあるということがこの本の主題です。データの中から隠れた規則を見つけ出す手法としては統計の誕生以来の歴史がありますが、データ処理にかかるコストが膨大になりがちになることから、かつては限定的にしか適用されてこなかった手法が、情報技術の発展によってより一般的に適用できるようになってきたことによって、意志決定手法が変革されつつあると述べられてます。統計、データマイニングニューラルネットワークなどで、どちらが適切な判断が出来たかについて比較した事例に基づいて、データに基づく判断の方が優れているというのが著者の主張です。
邦題には「数学」とありますが、「数字」としたほうが私にはしっくり来ます。統計なのどの手法に着目して「数学」としたんでしょうけど、原題にある"thinking-by-numbers"が本書の主題なので、「数学」としたのではちょっと主題とずれている感じがします。原題を決めたときには複数の仮題をきめて、Google Adwordsの反応をみてタイトルを決定したのですが、邦題もそのような手法で決めてみれば面白かったのに。
米国の場合、本書で紹介された手法が積極的に活用されており、その有効性も認められながらも、批判もまた強いために本書のような本が書かれたのだと思います。あと、データ解析するに当たって一番大変なのはデータを収集するためのコストが膨大になりがちなことで、著者にとっては手法の有効性を主張することでデータ収集をより広範囲に行われるようになる、そして未だに高額になりがちなコストも正当化する目的も有るのではないかと思ったり。日本の場合には訳者が

専門家がデータ解析にはっきり脅かされる状況すら多くのところではなかなか生まれていない。

と述べているような状況ですけども。
まあ、すべての問題を解決する魔法の杖は当然存在しなくて、サブプライム問題で多くのクオンツファンドが苦況に陥ったり、格付けモデルの不適切さが指摘されたり、スコアリングモデルによる融資によって苦境に陥った某銀行のことに思いをはせながら読んでしまいましたが。
(追記)
訳者の山形氏のサイトに正誤表が有りました。
『その数学が戦略を決める』 正誤表