匿名ブログ

「匿名ブログ vs 実名ブログ」について未だに論争が続いています。
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その理由として、日本に匿名が多くて、米国に実名が多いのは、日本では実名のデメリットの方が大きい場合が多くて、米国では実名のメリットの方が大きい場合が多いからと言われています。日本においてデメリットが大きくなる原因の一つとして、ディベート教育の有無があるのではないでしょうか。日本における議論において、「発言者の意見」と「発言者の人格」が分けられないという問題が良く指摘されます。自分の意見に対して反論された場合、自分の人格が否定されたように感じて向きになって反論してしまい、冷静な議論ができなくなってしまうとか。あげくに肝心の意見はそっちのけで人格攻撃に終始してしまうとか。
米国の国語教育って、言葉を使う技術を教育するという側面が大きいと聞いています。実際WritingとかDebateとかの教育重視されていますし。ディベート教育では、自分の本来の意見とは正反対の意見についてそれを説得するような議論をさせられますし。たとえば、本来匿名ブログ派の人が実名ブログを擁護し、実名ブログ派の人が匿名ブログを擁護するような議論を行うとか。そのようなトレーニングを繰り返していれば、自然と意見と人格を分離するようなスタイルが身につくのかもしれません。日本の国語教育って思い起こせば、基本的な読み書きの次は文学教育的な部分が大きくて、言葉を使う技術と言った内容は薄いような。そこでは「全人格的な創作」みたいな芸術論とかが語られていたりして、そのような教育を中心に受けた人が「意見」と「人格」を分けて捉えられなくなっても仕方ないのかも。
そのようなスタイルは決して良いことばかりではなくて、公の場ではいわば人格の表れである本音を語るべきでないとして、禁酒法みたいなのが通ってしまったり、Political Correctnessが過剰と思えるほどになってしまったりするんでしょうけど。また本音が抑圧されたことで、プライベートな場での本音の語り合いはなかなかすごいようですが。
まあ、匿名である私が主張するのも実名派の人にはなんだかなあと思われるかもしれませんが(汗)。