経済学の歴史

私自身歴史好きなところがあるので、近代経済学に至った経緯も知りたくなって学説の始祖となった人物に焦点をあてて経済学史を語った「経済学の歴史 (講談社学術文庫)」を読了。学説だけでなく、人物についての簡単な伝記も合わせて紹介されていることから、その学説がうまれた時代背景も分かってなかなかの良書ですね。

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

取り上げられている人物は次の12人:

私が知らなかった人物がいたり、ミルって経済学者でもあったのねと思ったりとかなかなか得るところが多かったです。ここに、ミルトン・フリードマンとかフリードリヒ・ハイエクといった現在注目を集める経済学者が載っていないのは、著者にとってはあくまでも学説を発展させた人物という認識なんでしょうね。
アダム・スミス近代経済学に批判的な人からは悪の元凶のごとく扱われたりしますが、「国富論」だけが有名になって、その前提となる「道徳感情論」がほとんど知られていないことに影響が有るかも。私のアダム・スミス感もずいぶんと変わりました。私も「道徳感情論」は未読なのですが、そのコアになる主張は本書によるとつぎの通りになります:

スミスの見解は、今日ではよく知られているように、各個人が利己的な行動をとっても社会的に秩序が成り立つのは「同感」(Sympathy)の介在によるというものであった。つまり、各個人の利己的な行動は、他人の「同感」が得られる限り、社会的に正当であると判断されるので、各個人は他人の「同感」が得られる限り、社会的に正当であると判断されるので、各個人は他人の「同感」が得られる程度にまで自己の行動や感情を抑制せざるを得ないというのである。ただし、「同感」といっても、スミスが考えているのは、友人や知人の「同感」ではなく、「注意深い、事情に精通した公平な傍観者」(attentive well-informed impartial spectator)の「同感」である。

何か、日本の商人道に通じるものが有るように感じます。このような規範のもとに「見えざる手」が機能すると「国富論」で主張しているわけですね。
そして、政府の存在についても

  • 防衛の義務
  • 厳正な司法行政を確立する義務
  • 公共施設を建設・維持する義務

を挙げていて、すべて市場で解決できるというような、極端な主張はしていないんですよね。特に2番目については、米国の監督機関の巨大さを考えると、決して安くつくものではありません。
あと、リカードマルサスはその経済理論では真っ向から対立していたものの、良き友人でもあったというのは、なかなか面白いエピソードです。自説を発展させる最大の原動力はやはり対立学説の存在であり、良きライバルとしてお互いを認め合っていたのでしょう。