わくわく感?、信頼感?

以下のエントリーを見てたら、この前テレビで放映していた脳外科手術用のハサミを作る職人さんの話を思い出してしまいました。
【RubyKaigi'08】「Rubyを仕事に2008」まつもとゆきひろ×最首英裕対談:CodeZine
Rubyにワクワク感以上に求めるもの - ひがやすを blog
おごちゃんの雑文 » Blog Archive » プログラム言語に「わくわく」なんていらんでしょ
その職人さん、何がすごいかというと手作業なのにもかかわらずミクロン単位で刃の厚さをコントロールできるんですよね。そして、別なメーカーのハサミと切れ味を比較してたんですが、試しに布を切ったときの切れ先を拡大映像で比較していたんですが、その職人さんのハサミは切れ先も繊維が乱れることの無くきっちり切れていたのに対して、別なメーカーのハサミは切れ先の繊維が乱れていたんですね。まさにハサミに関しては名人の技だと思いましたよ。日本の脳外科医の70%(?)くらいはその方のハサミを使っているそうです。
さて、もとの「わくわく感」の話に戻りますが、脳外科医にとって「わくわく」するからその職人さんのハサミを使うのでしょうか?従来のハサミから切り替えたときに、手術がより確実にこなせるという「わくわく感」は感じると思います。でも、その職人さんの作ったハサミを愛用しているのは、「わくわく感」を感じるからではなく「信頼できる」からではないでしょうか。そして、ハサミそのものに「わくわく感」を感じつづけるというのは、脳外科医ではなく、同じハサミ職人ではないでしょうか。
それを端的に表現したのがogochanさんの以下の文になっているかと:


逆にRubyは「わくわく」しない言語だった。だからこそRubyな人達が「わくわく」と言うのに違和感を感じるんだけど。じゃあなぜ「わくわく」しないかと言えば、
出来て当たり前のことが当たり前に出来て、
たいていのことがサクっと当たり前に出来る
からだ。つまり、学ぶ前からわかってしまっている部分が多いから、「わくわく」する余地がない。それじゃあつまんないって言うかも知れないけど、それって「実用言語」としては素晴しく良いことだと思う。学習する前から機能が納得出来るんだから。つまり、「わくわく」しないことは美徳なのだ。
Rubyで「わくわく」するのはMatzだけでいい
のだ。実装側ではやるべきことはいっぱいあるし、言語仕様変えなくたって「わくわく」出来る要素はいっぱいあるんだから。
システムを開発するEngineer (wikipedia:en:Engineer)としては、自分のプロジェクトが順調に進んで無事カットオーバーの日を迎えることができて、要求仕様がうまく実現できたことの方がわくわくすることでは。Engineerとしてはプログラミング言語に求めるのはわくわく感というよりは、信頼感だと思います。でも実際ソフトウェアを開発するtechnologist (wikipedia:en:Technologist)の目から見ると、特に目新しいことなくわくわく感は感じないかもしれませんね。いあ、私もC++初期の頃のプロジェクトでわくわくしすぎてしまって、Engineerとしては、後でメンテする人や運用者にずいぶん迷惑をかけてしまったと正直反省しているので。オブジェクト指向の開発技術を試すテストプロジェクトだったので、仕方ないといえば仕方ないのですが。信頼できない環境で実現してみせることも面白いと言えば面白いですが、それは普通に仕事で使える環境としてはちょっと(汗)。ここで、engineerとtechnologistと分けましたが、その違いについてはWikipediawikipedia:en:Engineerと、wikipedia:en:Technologistを見比べてください。私としては上下関係と言うよりは仕事の目的の違いと捉えています。日本ではtechnologistが不当に低く評価されているのが、SI業界の不人気につながっていると思います。
これ、別にRubyのことを批判しているわけではなくて、あまりわくわく感を強調しすぎると、世のプロジェクトマネージャとかが身構えてしまってRuby導入に対する抵抗が強くなってしまう危険性を感じたので。