リバタリアンってストイック

リバタリアンって初めて効いたときの印象と正反対でとてもストイックな主義を抱いた人々だったんですね。新古典派の思想的基盤になっているといわれているリバタリアリズムを良く理解したくて「リバタリアン宣言 (朝日新書)」を読んだ感想です。

リバタリアン宣言 (朝日新書)

リバタリアン宣言 (朝日新書)

確かにwikipedia:リバタリアニズムでも、

リバタリアニズム(自由意志論 英:libertarianism)とは、他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだとする政治思想である。
と定義されていますし。他者の権利を侵害せずに、各個人の自由を最大限に尊重しようとすると、自身と他者を理解する透徹した理性と、あくまでも自律を貫く強い意志が前提となると捉えました。リバタリアリズムに関連した概念であるレッセフェールが、日本において自由放任主義と訳されている関係なのかもしれませんが、他者の権利を侵害しない限りというところが抜け落ちて、何をしても良いと考えている身勝手な人たちと捉えている人が多そうな。または、そのように捉えて好き勝手に振る舞うとか。市場主義に対する批判、誤用は「自由」という概念の理解の違いによるのかもしれません。この辺り、親鸞の唱えた悪人正機説を悪事をなしても良いと誤解した人たちを連想してしまいました。

悪人正機の意味を誤解して「悪人が救われるというなら、積極的に悪事を為そう」という行動に出る者が現れた。これを「本願ぼこり」と言う。親鸞はこの事態を憂慮して「くすりあればとて毒をこのむべからず」と戒めている。
真のリバタリアンになろうとすると、修行の末にようやく悟りの境地に達するような努力が必要なのかな。私にはそこまでの境地に到達するのは無理そう(汗)。