専門家と非専門家を別つもの

情報・知識ならネットにあふれかえっているのもあって、最近は専門家不信が蔓延しているようです。私から見ると、専門家に対する過度の期待への反動のように見えます。
少なくとも私の考えている専門家というのは、何かを知っている人、出来る人だけではなくて、まだ分からないこと、まだ出来ないことをある程度認識している人のことです。開戦に当たって、軍事の非専門家である政治家が好戦的で、専門家である軍人の方が逆に非戦的だったとかいう話がときどきでてきますが、先入観に反するようなことが起きるのは専門家の方が自分の専門分野の限界を感じているからではないでしょうか。経験を積んだ技術者が技術の選択にあたって保守的になることがあるのは、そのような限界を経験してきたからで、その判断を軽視することでデスマーチプロジェクトが発生したりします。逆にそのような先入観を持たない人のチャレンジによってブレークスルーが起きたりもするのですが。
専門家の方もプライドがあったりするので、分からないこと、出来ないことを、普通の人にストレートにいえなくて、なんとなくはぐらかしたような発言をしたりするので、逆に不信感をもたれてしまったりするのかも。あと、当たり前のことは普段意識していないので、専門家にとって当たり前のことが非専門家には当たり前でないということを失念しがちなこともあるかも。
人の命という重大な問題になると、関係者も感情的になっていたりするので、コミュニケーションが特に難しいなというのをみて、何でだろうというのを少し考えてみました。