2000年前のグローバリゼーション問題

近年加速しつつあるグローバリゼーションですが、その流れに関して毀誉褒貶が激しいですね。現在グローバリゼーションに関して指摘されている問題、別に目新しいものではありません。経済のグローバル化反対論では、富裕層への富の集中と中間層の凋落の問題を良く目にします。それを見ているうちに、塩野七生さんの「ローマ人の物語 (3) 勝者の混迷」における、ポエニ戦役終結によって一気に支配領域が拡大したローマ共和国に発生した問題と同じだなと。自営農を基盤として成立したローマ共和国ですが、ポエニ戦役後に拡大した属州で富裕層が経営する大規模農場に対抗できずに、群知力の担い手でもある中間市民層が無産階級に転落していくという現象が進行していました。グラックス兄弟による中間層増大のための改革の実施と、既得権益者からの反撃による挫折。そして、改革と反動の繰り返しによる混迷が描かれています。その混迷は結局、次巻以降に描かれることになる、カエサルアウグスティヌスによる、民主主義の建前による独裁制によって収拾されることになります。

ローマ人の物語 (3) 勝者の混迷

ローマ人の物語 (3) 勝者の混迷

いまは文庫化もされていますね。
ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) (新潮文庫)

どうしてグローバル化が政治的な混迷につながったか、私なりに読み取ってみました。当時の(広い意味での)情報技術の能力で民主制を実現しようとすると、都市国家までは実現できても、グローバル化には対応しきれなかったのではないかと。当時の民主制は、現代的な意味での民主制ではないという意見はここではおいておきます。つまり、「「みんなの意見」は案外正しい」でも集合知を実現される条件のうち、「意見の適切な集約」するための情報技術は、都市国家レベルのうちは十分でも、統治領域の拡大には追いつかなかったのではないかと。そしてローマ共和国では、帝政とそれを支える官僚制へと移行することにより、意見の適切な集約する負荷を軽減したのではないでしょうか。
もしあくまでもグローバル化が進んだときのあまり考えたくないシナリオとして、ローマ共和国のたどったのと同じく、国連事務総長という肩書きを持った「皇帝」と、その官僚機構によって統治されるという世界が出現するかもしれません(苦笑)。まあ、私が勝手に考えた一つの可能性ですけどね。でもその設定のSFで読んだことあるような。
情報技術がこれだけ進歩し続けているんだから、そのような不安が杞憂に終わるだろうと楽観することも出来ますけどね。たしかGoogleでは、情報技術によってそのようなバッドシナリオが実現することを回避することだととれる発言をしていたような。実際グローバル化によって到来するのは、ユートピアなのかディストピアなのか、予断を許さない状況になってきたと思います。
グローバル化が後退して、大恐慌後に起きたブロック化の復活というシナリオも忘れてはいけませんが。