「退化」の進化学

「退化」の進化学―ヒトにのこる進化の足跡 (ブルーバックス)」は人類の進化過程を比較解剖学によって説明しています。ユニークなのは「退化」という視点から「進化」を見ていることです。魚類の時代から原人まで、現在の人類の器官に備わっている器官の構造と比較して、現代人に残っている退化の痕跡をたどっています。解剖学的に見た進化の歴史は結構面白く読めました。

「退化」の進化学―ヒトにのこる進化の足跡 (ブルーバックス)

「退化」の進化学―ヒトにのこる進化の足跡 (ブルーバックス)

著者は「進化」と「退化」について以下のように書いていますが、「進化」論ということばに違和感を感じてしまうのは私だけではないようで。

漢字の「進」には進歩、進捗、進展、前身といったプラスの価値観がこめられているように感じる。「進化」はevolutionの訳だが、たしかに翻訳当時の進化観には下等から高等へという意識がふくまれていた。しかし、本来の生物学用語のevolutionには「進歩」の意味はまったくない。evolutionはもともと「展開」の意味で、おだやかな変化を表している。

本書は解剖学で見ていますが、生化学においても「退化」の存在が見られます。必須アミノ酸やビタミンが存在する理由は、餌から安定して摂取できるために自ら構成する必要性が無くなって、進化の過程で代謝経路が失われたという説が有力です。代謝経路を維持するのにもエネルギーが必要ですからね。不要なことをしなくなるというのも「進化」でしょうが、どうも「進化」という言葉の語感とはそぐわなくて。
器官の退化の歴史の中で特に面白いと思ったのは、不用となった器官を別な用途に転用することが結構見られることです。私も虫垂炎の手術をしただけに、盲腸や虫垂って退化器官だと思いこんでいたのですが、実は別な用途に転用途上の器官であるのが分かってきたようで。

口から肛門にいたる腸管の中は「体外」なので、腸の壁は身体防衛の最前線にあたり、病原菌や異物の侵入を監視し対処するリンパ組織という免疫機構がいたるところにそなわっている。じっさい虫垂にはリンパ小節が密集している。盲腸はセルロース分解用の発酵タンクとしての機能は失われて縮小したが、その先のリンパ小節が集まった虫垂は類人猿とヒトに特有の新たな免疫組織で、今も立派に機能しているのである。

なるほど。でも、急性虫垂炎にかかりやすいというのは、まだ新たな用途にする過程に現在もあるということでしょうか。いまでは医学的に処置されてしまいますから、これから進化する可能性はあまりないと思いますが、もしそのまま淘汰に任せていれば、虫垂炎に悩まされることのないヒトに進化していたかもしれませんね。
最後に進化論に関する論争について一言。米国において進化論に対する対立仮説として、知的設計論(wikipedia:インテリジェント・デザイン)が結構影響力を持っています。日本ではたまにニュースになるくらいですけど。この退化器官や痕跡器官の存在こそが、知的設計論に対するきつい反論になるかと。もしわれわれ人類の身体が「偉大なる知性」の作為によるものであれば、退化器官や痕跡器官を残すようなことをするのでしょうか。私なんかから見ると、メタファーとか解釈問題ですませられるところにこだわるあまり、信仰の根本のところを危うくしているように思えるのですが。