確かに対症療法に過ぎないけど・・・

ネタフルさんの病院で「ショック」は「急な刺激」ではないという記事を見て、公的資金注入に対する批判を連想してしまいました。
今回の金融危機における公的資金注入は確かに対症療法に過ぎないでしょう。でも、公的資金注入が無意味だというのは、出血多量でショック状態に陥っている患者を前にして、輸血しても原因は治療できないから無意味といっているのと同じではないかと。資金市場が実質的に機能喪失して、いわば心肺停止状態でしたから。不良資産買い取り法案成立でも、緊急利下げでも資金市場の状況は改善しませんでしたし。まだモノラインが問題視されていた段階でなら、不良資産の圧縮だけで十分でしたでしょうけど、資金市場が凍り付く危機的な状態に至ってしまっては、買い取りが機能する前に脳死状態になるおそれが高かったのでは。
今回の公的資金注入には理論家と実務家の間で評価が分かれているようですね。例えば「Fundamentalists versus Realists | Growth Commission Blog」とか。経済学者は理論家と実務家の両者をこなせなければいけないという風潮があるようですが、それは経済学者本人含めだれも幸福にはならないように思えるんですけどね。経済は単一の視点で捉えきれるほど単純ではないと思うので、理論が説明できる範囲外で発生した問題に対して、特定の理論にこだわるのは事態の解決につながるとは限らないでしょう。実務家として現実に即した施策を提案すれば、理論家として変節を非難されることもあるでしょう。また、あくまでも理論家として自説にこだわったあげく、事態をさらに悪化させてしまえば結果責任を問われるでしょうし。科学者と技術者・医者の行動規範は違いますからね。そのときの立場で、理論家の顔、実務家の顔を使い分けられて、周りもそれを受け入れられたら良いんですけど。