このまま行くと、オフショアリングか、外国人エンジニアにたよるか?

昔仕事がらみでお話を聞くことがあった今野先生の「「理工系離れ」が経済力を奪う 日経プレミアシリーズ」、読ませていただきました。

「理工系離れ」が経済力を奪う 日経プレミアシリーズ

「理工系離れ」が経済力を奪う 日経プレミアシリーズ

いろいろ苦労されている話をぽろっと漏らされたこともあったのですが、
「第三章工学部VS経済学部」に出てくるエピソードには、思わず苦笑してしまいました。ここで、工学部、経済学部、医学部が合同で解説した「統計学輪講」に参加した話に文化の違いが端的に表れています:

この授業では各学生が順番に、統計学の専門誌に掲載された論文について解説を行い、それについて教授たちが質問する形式で進められるのだが、経済学者は自分がよく読み込んだ論文を学生に発表させ、理解不十分と思われる部分があると質問を浴びせてくる。その間発表者は、顔面蒼白になって叱責に耐えるのである。
一方、工学部の教授たちはどうかと言えば、まだ自分が読んでいない面白そうな論文を学生に与え、うまく発表すると、「そうか、わかった。これで一つ賢くなった。ありがとう」とお礼を言ってくれる。質問にうまく答えられないときは、べつの工学部教授が、「それはこういうことでしょう」と助け船を出してくれる。
最初の数回で、私は経済学者の厳しさにはとてもついていけないと感じた。彼らは他人に厳しい。そしてこのバトルを生き抜いた強者が教授となり、再び学生を厳しくしごくのである。

これを読んだとき、経済学者って宗派の教義を叩き込まれて育った宗教家のように思えてしまいました。そういえば、経済学のブログを読んでいると、学派の経済学者を教祖のように語ったり、その教科書をまさに教典のように扱っているように感じることがあって、そのスタンスには違和感を感じていたんですよね。私なんかは教科書を盲信するなと叩き込まれた方なので。生物学関連だと、「事実」がひっくり返ることも珍しくありませんからね。とりあえず信じて読むのは実験法の教科書くらいではないでしょうか。
あと、大学院にもなって読む論文を教授が与えるというのもどうかと。私の経験だと面白いと思われる論文は自分で探し出すのが当たり前で、それが出来ないと仕方のないやつと思われてしまいます。学部、学科によってカルチャー違いますね。
「第四章 なぜ経済学部か」、「第五章 経済学部金融学科」、「第六章 工学部理財工学科」で、工学部理財工学科の立ち上げに理解が得られなかったことに無念の思いを吐露しされています。確かに、ファイナンス経済学部、経営学部、工学部、どこで取り組んでも良いと思うんですよね。ただ、どこにあるかでその研究内容は変わってくるかと思いますが。経済学部だとwikipedia:en:Mathematical financeというイメージですし、工学部だとwikipedia:en:Computational financeというイメージですね。経営学部だと実際にどう適用していくか、実践と実証がイメージされます。
「第九章 飛翔する工学部」では、そのタイトルと裏腹に日本の大学における予算の乏しさを嘆いていますが、どこも同じ状況ですか・・・。