脳機能イメージングの発展と限界

最近はfMRIに代表される脳機能イメージング技術が発展して、脳のイメージングデータに基づいた研究がいろいろ発表されています。昔と比べるとこんなことも分かるようになったんだと思った反面、「えっ?」と思うような発表を見ることもあります。そのような現状に危機感を抱いた専門家による、脳科学濫用に対する批判の書が「「脳科学」の壁 脳機能イメージングで何が分かったのか (講談社+α新書)」です。

「脳科学」の壁 脳機能イメージングで何が分かったのか (講談社+α新書)

「脳科学」の壁 脳機能イメージングで何が分かったのか (講談社+α新書)

直接自分自身の研究に関係のないテーマに対して、このような面倒に巻き込まれる可能性のある批判は避ける傾向がありますが、執筆に至った意図を次のように述べています。

本書は、脳科学に対する一般に流布している誤解を解くことを目的にして書いたものである。本書を読んでいただければ分かるが、私は脳科学を非難あるいは否定しようとしているのではない。むしろ逆である。ただ脳科学という魅力的な言葉をまとって、科学でも何でもないことが真実のように語られている状況が続けば、紳士に脳科学を研究している多くの研究者にとってむしろマイナスになる危険性を感じている。脳科学とその類似の科学的装いをまとっているいくつかの事情を挙げながら、行き過ぎた脳科学ブームに踊らされないきちんとした視点を読者の方々に持っていただきたいと思うのである。

「第二章 脳科学氾濫の系譜」では、デカルトの情念論から始まって、骨相学、脳内革命、唯脳論ゲーム脳にいたる、「脳科学」について批判的に論じています。「第三章 前頭葉ブーム」では、脳トレのような前頭葉を鍛えるという話について、その科学的根拠について疑問があると指摘しています。
著者はそのような濫用の背景を次のように分析しています:

ここまで読まれた読者の方には、「なんだ脳機能イメージングでは、脳の一番基本的な仕組みさえわからないのか」と思われた方も多いだろう。デカルトの劇場に代わる脳の基本的な仕組みについては、デネットやダマシオがそれなりに説得力のある仮説を提案している。しかし、現在の脳機能イメージング法では、その技術的な限界によって、いまだに仮説を証明することができないのである。
しかし、それは脳機能イメージング研究で得られた知見に価値がないということでもないのである。脳機能イメージングは、自己意識が生じるメカニズムや、脳血流増加と学習の関係を解明するにはいまだに力不足ではあるが、神経科学の基礎や臨床に多くの示唆を与える情報を提供してきているのである。ただ、脳機能イメージングの知見によって、脳機能が「解明された」のではなく、その「理解が一段と進んだ」ということなのである。
研究者は、自分の発見したことの意味を過大に考えたくなるものだ。脳機能イメージングで自分が発見した事実によって、脳機能が解明された、と喧伝したくなる。さらに近年の科学研究を推進する仕組みが、研究者自ら自分の研究成果(あるいは期待される成果)を、時には誇大にせざるをえない状況を作り出しているのである。マスメディアに載ったそうしたやや誇大な研究者の主張が、そのまま社会的に信じられてしまうために、脳の働きが解明されたと行った誤ったメッセージが流布されているのである。

少なくと生命科学系だと、学生や研究者向けには分かってないことも含めて話しますが、一般向けには分かっていると思われることだけを話しがちになるので、「解明された」と思われるでしょうね。成果出ていないように思われてしまうと、研究費が(汗)。
脳科学の濫用を指摘する研究者は他にもいて、NatureやScienceに掲載された論文をサーベイして、問題点を指摘した論文が少し前に話題になっていました。
Seth’s blog » Blog Archive » Voodoo Correlations in Social Neuroscience
Ed Vul - Voodoo rebuttal
ニューロマーケティングとか社会科学系の分野に脳科学の技術を応用した研究が盛んになっていますが、全部が全部信用できるとは限らないと。たとえ、NatureとかScienceに載った論文でも、それに基づいて何か言おうとするときには、よく読んで吟味しないといけないのか。あと、結果が後でひっくり返る可能性もありと。生命科学系ではよくあることですが。対立仮説のそれぞれに有利不利な結果がでて、そのときどきで優勢な学説が変わるとか。