会社の論理と労働者の論理、そして生活者の論理

雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理 (ちくま新書)」は労働問題に関する本で、なかなか興味深い分析をしていると思って読んでみました。労働法の専門家による現在日本が直面している労働問題を論じた書ですが、副題の「会社の論理vs.労働者の論理」に現れているように、会社の論理と労働者の論理という対立軸を中心として、どのように両者の論理の折り合いをつけていったらよいか、筆者なりの思索を展開しています。

まず、会社の論理を次のように定義しています:

経営者は、生産性を高め、会社の価値を増大させ、株式の利益を満足させようとする。これが経営者の株主に対する責務であり、経営者の評価(報酬)に結びつく。経営者が人材を集め、集めた人材を処遇していく上に置いて第一に考えるのは会社にとっての利益(経済合理性)である。労働者の利益は二の次になる。製造業の会社は、部品を調達するとき、同じ質ならば、できるだけ安い部品を求めるであろう。同様に、労働力を調達するとき、同じ程度の質(能力)ならば、できるだけ安い労働力を求めるのである。これが会社の論理である。

それに対して、労働者の論理は次のように定義しています:

しかし、労働者はモノではない。ヒトである。会社の経済的合理性だけで、自在に扱われることがあってはならない。これが20世紀以降の正義感である。労働者が会社に雇われて働いていたとしても、ヒトとしての権利(それがまさに人権である)は享受できるはずである。会社の利益に対抗して、自分達の権利が保障されるべきと言うのが労働者の論理である。

そして筆者の専門である労働法の果たす役割を定義しています:

労働法とは、このような会社の論理労働者の論理とがぶつかりあうなかで、その線引きをするためのルールを示すものといえる。会社の論理だけを通すのは正義に反する。労働者の論理だけを通すのでは、会社の経営が立ちゆかなくなるし、結局は、労働者のためにもならない。だからこそ、両方の論理を調整していく必要がある。

この対立軸をベースに、次に上げる11のテーマについて分析しています。

  • 第1章 法と道徳 − 社内不倫はイケないこと?
  • 第2章 男と女 − 女だって働きたいの
  • 第3章 仕事と余暇 − 男だって休みたい
  • 第4章 敵対と協調 − ユニオンって何をしてくれるの?
  • 第5章 エリートとノン・エリート − たかが学歴、されど学歴
  • 第6章 会社人と職業人 − 君は仕事のプロになれるか?
  • 第7章 「使える」社員と「使えない」社員
  • 第8章 アメとムチ − 人を働かせる秘訣
  • 第9章 ベテランと新人 − 世代間戦争の行方は?
  • 第10章 正社員と非正規社員 − 政府のやるべきことは何?
  • 第11章 雇用と自営 − 本当の自由とは?

この中で、特に面白い分析は「第3章 仕事と余暇」の中で繰り広げられる、労働者の論理生活者の論理の葛藤の問題です。まあ、最近話題のワーク(労働者の論理)・ライフ(生活者の論理)・バランスの問題なのですが。そして、イタリアのワーク・ライフ・バランスの例を取り上げて、イタリアでは、労働者の論理生活者の論理に優先させているのに対して、日本では労働者の論理より生活者の論理を優先させているのではないかとしています。そのために、生活者としては高い利便性を享受できていますが、その競合他社より高い利便性を提供するために労働者の労働が強化されていると。それは会社が一方的に押しつけているわけではなく、生活者でもある労働者自身も労働者の論理よりも生活者の論理を優先することを選択したとしています。
著者は非正規雇用問題を、雇用システムにおける生活者の論理と労働者の論理のバランスの問題と捉えています。その上で両者のバランスをどうすべきか、著者の場合は両者は絶妙なバランスの上に成り立っている以上、雇用システムの根幹を変える施策は、副作用の方が大きいと考えているようです。

正社員と非正規社員の均衡処遇というような、日本の雇用システムの根幹にメスを入れる施術は、当面は、格差問題という「病状」の改善にはつながるかもしれないが、長い目で見ると、雇用システムの「健康」な部分までを病弱にしてしまうであろう。均衡処遇は、非正規社員の人権や平等というような美名で正当化しやすいものであり、国民のエモーショナルな部分に訴えるものである。しかし、これは、労働者の論理を過度に強めることになり、労働者の論理と生活者の論理との間の絶妙なバランスを崩してしまいかねない。

でもどうなんでしょう?安定した経営環境にある状況下ではこの主張も有効かと思いますが、企業の盛衰が激しくなっている現状では現状のバランスを維持するのはきわめて難しいのではないでしょうか。「千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン (角川oneテーマ21)」のような本があるように、日本では比較的企業経営は長期安定志向が強かったと思います。利益が激しく上下するよりも、安定して成長した方が好ましく思われますし。しかしながら、最近の傾向では企業の盛衰が短期化しているように思えます。そのような経営環境の中で、現状の会社の論理労働者の論理生活者の論理のバランスが維持できるとは思えません。雇用システム改革の問題、施術による病状の改善と、より悪化するリスクの間の、リスク便益分析の問題な訳ですが、トレードオフがかつての理想の世界からは変化していると私は捉えています。「文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)」、「文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)」を読んでから、自然に限らず環境要因が変動したにもかかわらず、従来の慣習に固執する危険性について考えざるをえません。