エイジフリー社会と雇用システム

新書バブルのせいか、少しでも読者の目を引きつけようとするタイトルが最近目立ちますが、「「エイジフリー」の罠 いつでもクビ切り社会 (文春新書)」もその一冊ですね。

「エイジフリー」の罠 いつでもクビ切り社会 (文春新書)

「エイジフリー」の罠 いつでもクビ切り社会 (文春新書)

日本にもエイジフリー社会の波が押し寄せるのは必至であり、そのためには雇用、解雇における年齢差別をなくそうというのが筆者のメインの主張な訳です。敢えてそちらをタイトルにしないで、そのためには会社の解雇権をより自由にしないといけないという、年齢差別撤廃と対になる主張を敢えてタイトルにつけているあたりは編集者がやり過ぎたような気がします(苦笑)。読み始めてしばらくはタイトルと改訂ある内容とのギャップにひどく違和感を感じていました。
日本がなぜエイジフリー化社会になるのかという著者の分析は次の三点です。

  • 少子・高齢化の進展
  • 国際的なトレンド
  • 社会における人権意識の高まり

そしてエイジフリー社会では、定年制の廃止と、雇用における年齢制限の撤廃に向かうというのが著者の主張です。これだけなら、よくあるバラ色の未来像な訳ですが、エイジフリーになれば、企業側は年齢差別できない代わりに、「能力主義」による解雇の自由をより広く認める必要があるという、ある意味当然のトレードオフ関係を同時に示しています。定年制を撤廃すれば、年功序列的な仕組みも見直さないとバランスが取れません。そこには、よい点も悪い点もあり、著者は次のように纏めています。

定年制を廃止することで、旧態依然とした年功賃金・年功的処遇制度から脱し、風通しのよい能力主義的な人事管理制度へと移行していくのだ、それが効率的な人材管理と経営を後押しするのだ−そう前向きに考えられるのであれば、エイジフリー社会は魅力的な社会だ。しかしそこには、上司の気まぐれに左右される、カッコ付きの「能力主義」の下で働かなければならない、という条件も付いてくる。

米国流の雇用システム、確かによく言えば現場のマネージャーの裁量権限が大きい、悪く言えば上司の気まぐれに左右されるですね(苦笑)。
そして最後の纏め:

これまでよりいろりろ考えたり決めたりしなくちゃいけなくて大変だけど、でも働くこと、生きることの意味を改めて考える切っ掛けを与えてくれる、それがエイジフリーの発想だ−そう考えれば、そう考えてれば、エイジフリー社会はそんなに悪い社会でもないのかもしれない・・・とは言え、やっぱクビにはなりなくないけどね!

個人は自分の人生は自分で考えて決める。行政はそれに合わせて社会保障とかセーフティネットも見直す、両者が必要になるんだろうな、きっと。