なぜ中国ではなくヨーロッパだったのか
先日なぜ社会が崩壊したのかを描いた「文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)、文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)」を読んだのが切っ掛けで、その前作で、なぜ社会によって文明の発展度合いに差が出たのかを描いた「銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎、銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎」を読み直してみました。
- 作者: ジャレドダイアモンド,倉骨彰
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2000/10/02
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本署によると、科学技術史研究者は技術の受容度の違いについて、次の14の要因を挙げています:
- 社会の平均寿命
- 利用可能な労働者数
- 発明者に対する報酬
- 技術訓練の機会
- 技術開発投資に対する見返り
- 発明者に対する報酬の再分配の問題
- 失敗に対する社会の許容度
- 科学技術的な考え方の存在
- 異なる考え方や異端に対する寛容性の違い
- 科学技術に対する宗教の許容度
- 戦争を契機とした技術革新
- 政府による技術革新の促進
- 気候条件の克服
- 資源の多少
このような多数の要因が挙げられていますが、個別のケースに対する各要因の影響については、その判断が難しくて解釈の対立も多々あるみたいですが。そして、この要因の変化が、社会の技術の受容度に変化を与えていると著者は見ています。
このように、同じ大陸内でも、技術への対応には社会ごとに大きな差がある。同じ社会が、時代によって異なる対応を示すこともある。中東地域の現代イスラム社会は、比較的保守hてきである。技術的に最先端を行っているわけでもない。しかし、中世においては、革新を受容する社会であり、技術的にも進んだ社会であった。文字を読み書きできる人々の割合も、同時代のヨーロッパにくらべてはるかに高かった。今日では、ギリシアの古典の多くがアラビア語の写しでしか知られていないほどに、古代ギリシア文明の遺産を継承していた。冶金技術、機械技術、そして化学技術を大きく進歩させていた。火薬や紙の製造技術を中国から取り入れ、それをヨーロッパに伝えていた。今日、科学技術は、ヨーロッパからイスラムに向かって流れている。しかし、中世にあっては、圧倒的にイスラムからヨーロッパに向かって流れていた。この流れが反転したのは、西暦1500年以降のことである。
中国の社会もまた、時代によって異なる対応を技術に対して示している。西暦1450年頃まで、中国はヨーロッパよりも、中世のイスラムよりも、技術的に進歩した社会であった。運河の水門、鋳鉄、掘削技術、能率的な家畜の引き具、火薬、凧、磁針、可動式活字、紙、磁器、印刷術(ファイストスの円盤は例外として)、船尾梶、猫車(一輪の手押し車)などは、すべて中国で発明されたものである。そのご、中国は、エピローグで述べる理由によって革新的でなくなってしまった。そして、中国とは正反対に、現在、科学技術で世界をリードすると考えられている西ヨーロッパや北米の社会は、中世の後期になるまで、世界の「文明化された」地域のどこよりも技術的に遅れていたのである。
つまり、技術に対する革新性や保守性を、その社会がどの大陸にあるかで決めることは正しくない。革新的な社会や保守的な社会は、どの大陸でも、どの時代にも存在する。また、技術に対する社会的受容性は、同じ地域において、常に同じであるわけではない。
この結論は、社会の革新性が多くの個別の要因で決まるという前提に立てば、当然の帰結である。
確かに、近代が西欧による植民地支配ではなく、中国による植民地支配という可能性もあったわけです。どうして、そうならなかったのか。エピローグによる著者の分析は、皮肉なことに統一と強力な支配力が逆に仇になってしまったというものです。本書では、中国の海禁政策(wikipedia:海禁)と西欧の大航海時代(wikipedia:大航海時代)を対比させて説明しています:
政治的に統一されていたために、ただ一つの決定によって中国全土で船団の派遣が中止されたのである。ただ一度の一時的な決定のために中国全土から造船所が姿を消し、その決定の愚かさを検証できなくなってしまった。造船所を新たに建設するための場所さえも永久に失われてしまったのだ。
コロンブスは三人の君主に断られ、四番目に使えた君主によって願いがかなえられたのである。もしヨーロッパ全土が最初の三人の君主のうちの1人によって統一されていたら、ヨーロッパ人によるアメリカの植民地化はなかったかもしれない。
海禁政策を一概に愚かな決定と切り捨てることはできないと思いますが、結果的には「なぜ中国ではなくヨーロッパだったのか」という結果につながったわけで。政治的な安定がなければ技術の維持が困難になって獲得した技術が放棄されてしまう反面、安定を求めすぎても技術革新を抑制してしまう。その間のバランスの難しさが、ある時代、ある社会が文明をリードすることにつながっているのでしょう。そして、そのバランスが再度崩れるかもしれない状況に我々は直面しているわけです。