ヒトは社会性霊長類?

みんなの進化論」は、進化論について主に進化心理学の観点から書かれた入門書です。

みんなの進化論

みんなの進化論

個人の心理的な問題だけではなく、犯罪、芸術、宗教、国家と、幅広い対象について進化心理学的観点から解説しています。著者は、「利己的な遺伝子 <増補新装版>」のドーキンスと同じく社会生物学をバックグラウンドにしているので、やっぱり分析の切り口が社会生物学的です。
ドーキンスとの違いで言えば、ドーキンスは宗教に対して否定的であるのに対して、本書の著者であるウィルソンは宗教に対して肯定的です。実際宗教と進化の関係について、テンプルトン財団(wikipedia:en:John Templeton Foundation)からの資金で調査を実施していますし。本書の「28 ダーウィンの大聖堂」では、なぜ宗教が存在するかについて、5つの仮説を挙げていますが、著者が支持する仮説は1番目の手段レベルの適応を支持しています。

  1. 信者を地元の環境に適応させることで、宗教がなければ達成できないことを、集団行動で達成できる
  2. 集団間ではなく、集団内の選択の産物、つまり指導者による搾取
  3. ミームのように文化的流行
  4. 大昔の小規模な社会における適応の名残
  5. それ自体は意味を持たないが、意味をもつ何らかの機能と関連している

ドーキンスなんかは「神は妄想である―宗教との決別」を読めば分かるように、2または3番めの仮説の支持者ですし。
あと、社会生物学のバックグラウンドが強いためか、政治哲学的にはコミュニタリアニズム(wikipedia:共同体主義)的な説明が見られますね。本書の中では直接的にはコミュニタリアニズムについて言及していませんが、「21 平等主義のサル」では、平等主義は理想ではなくて、狩猟採集民の社会を観察すると現存するとしていますし、「31 国家の社会的知性」では、「現代の国家は、マルチレベルでの文化進化で最先端をになう代表選手だ。」としています。人間集団=社会性昆虫(wikipedia:社会性昆虫)のコロニーという感じです。生物とは何かを考えたときに、社会性昆虫とかは、個体を個体として捉えないで、普通の生物における器官として見た方が、その行動が納得できると私は思っていましたし。その見方で言えば、ヒトは霊長類の中でも特に社会性を発達させた、いわわば社会性霊長類とでもいえるのかもしれません。そして個体の遺伝子に相当するものがドーキンスの唱えるミームみたいなものになるのかな。進化論者の中でも社会生物学系のバックグラウンドを持った研究者は、自由意志(wikipedia:自由意志)に関してどちらかといえば決定論的に考える傾向が見られますから、政治哲学的観点から見るとコミュニタリアニズムに見えるのは不思議ではありませんね。まあ、リバタリアニズム(wikipedia:リバタリアニズム)のアイン・ランドを「30 隠れ宗教の教祖アイン・ランド」として批判していますので、私の推論も当たらずといえども遠からずではないでしょうか。
もう少し掘り下げたことが知りたければ、著者がEvoSという進化論研究のコミュニティを運営していますので、そちらを見られてはどうでしょうか。あと、グールドに代表される古生物学をバックに持つ研究者は、進化論についても異なる見方をしますので、ことなる観点から見ている著者の本を読むと、本書の説明とは相反する内容に直面することも有るかと思います。そうしたときに、それぞれの研究者がどのように進化を見ているかを考えながら読むと、なんで論争しているのか分からないと思うことも(苦笑)。
著者のサイト:
http://evolution.binghamton.edu/dswilson/
EvoS(Evolutionary Studies Program at Binghamton University):
http://evolution.binghamton.edu/evos/