群選択の復活ってマルチレベル選択説のことだったのね

先日のエントリーで紹介したデイビッド・スローン・ウィルソンの群選択的な説には、実はちょっと引っかかりを感じていました。最近進化論を援用した議論で、群選択説が復活したとか書かれているのを見たりしていたんですが、復活したと言われているのって、群選択説のニューモードとしてマルチレベル選択説が唱えられていると言うことだったんですね。


群選択が理論的に起こらないか、現実では起こりにくいだけなのかが再検討されている。「種のための行動」のような考えを支えた、古典的な群選択は基本的には起こらないと考えられている。たとえ群れ間の競争で有利になれるとしても、群れの内部での競争の方が個体に対して強く働くため、真に利他的な形質は淘汰されるからである。しかし個体の移動がほとんど無い、突然変異がほとんど起きない、個体群の絶滅が頻繁に起きるなどの非常に限られた状況下であれば、古典的な群選択も理論的には起こりうる。
また、群れとは何かが再定義されている。群れをどのように定義するかによって、同じ生物を観察しても群選択が成立したりしなかったりするためである。一般的には相互に交配する集団(地域繁殖集団)が群れと見なされる。これをデームと呼ぶ。しかし実際には交配可能な集団の内部に、より小さな集団が存在することもある。このばあい、古典的な群選択はデーム間群選択と呼ばれる。これは上述したように限られた状態でしか起こらないと考えられている。デーム内の小集団の間で起きるデーム内群選択は血縁選択と同じものだと考えられている。
マルチレベル選択
哲学者エリオット・ソーバーと生物学者デイビッド・スローン・ウィルソンは群選択説を再評価し、それを拡張したマルチレベル選択説(多レベル淘汰)を提唱した。彼らはある形質に注目したとき、その形質が影響を及ぼす個体群を形質集団(Trait Groups)と定義した。たとえばビーバーで言えば一つのダム湖に住むビーバーはダムを造るという形質の影響を受けているため、みな一つの形質集団に属する。その中にはダムを造らない個体が含まれていても構わない。子育てという形質に注目すれば、ビーバーの家族一つ一つが異なった形質集団に属することになる。そしてこの形質集団を自然選択を受ける単位と見なし、そこに起きる選択を形質集団選択と呼んでいる。形質集団は地域個体群全てを含む場合もあるし、家族などの小集団の場合もある。一つの個体が複数の形質集団に含まれていると考えられる。つまり、形質集団選択によれば、自然選択は遺伝子や個体だけでなく、家族のような集団といった様々なレベルで働いていると解釈できる。彼らによれば血縁選択集団や互恵的利他行動を行う集団は形質集団であり、マルチレベル選択の一種に過ぎない。
しかし形質集団が大きければ内部からの転覆に弱いというG・ウィリアムスの指摘は有効である。形質集団は規模が小さければ小さいほど選択に残りやすくなる。最終的には実際に働く形質集団選択は血縁選択と同義であり、ウィルソンらもそれを認めている。個体選択説や遺伝子選択説(血縁選択説もこの一つ)が、選択が様々なレベルに起こることを考慮していないわけではない。R.ドーキンスは群選択という語を再び用いるのは混乱の元でしかないと批判している。一方でE.O.ウィルソンやキム・ステレルニーのように一つの現象を複数の視点から解釈することは進化の理解をより深めると擁護する研究者もいる。この議論は現在でも継続中であり、主に生物哲学のトピックとなっている。
群れとは何かについて、単一レベルではなく階層的に再定義して、そのうえで選択を考えると言うことか。基本的な選択のメカニズムは血縁選択説と同じと考えられるという点で、現在主流となっている血縁選択説に必ずしも対立的な説ではなく、古典的な群選択説の復活ではありませんね。