統計学と経済学のあいだ

少し前にyyasuda氏がブログで紹介していた竹内啓先生の「統計学と経済学のあいだ (1977年) (東経選書)」を読んで見ました。

そのすごさについては私などが書くまでもなく、yyasuda氏のエントリーをごらんになってください。
ECONO斬り!! : 天才竹内教授はかく語りぬ - livedoor Blog
ECONO斬り!! : 経済学の「科学性」について - livedoor Blog
出版時期から取り上げられた事例は古いものがありますが、1977年に出版された本とは思えないくらい、その論点は現在にも通じるものがあります。

目次

第1章 統計学と経済学−方法的対比
はじめに 経済学の「要素論」 経済学の数学的性格 統計学は「科学」か 統計学の性質 経済学と統計学の対比 学問の「指向」の方向 統計学者の感覚 「事実」の確認
第2章 統計的なものの見方について−偶然性と集団性
「過程」としての統計学 統計学における「実践」の重要性 「偶然性」−誤差とバラツキ 「確率モデル」における偶然性のイメージ 「統計」の論理と歴史 「統計」の客観性
第3章 統計の社会性−続・統計的なものの見方について
統計調査の目的 調査される側の論理 統計学における「イデオロギー」 「事実」認識の重要性
第4章 経済学の「科学性」について
「科学的」とは何か 理論と現実 近代経済学が模範としたもの 「物理学化」の功罪 経済学の「普遍主義」的傾向 マルクス経済学の科学性 経済学がより「科学的」であるためには
第5章 経済学の混迷とは何か
学問の三つのレベル スミスとマルクスと インフレと非経済要因 「閉じた体系」には限界 経済学の価値 学問の魅力
第6章 「科学的」日本経済論の有効性
日本の近代経済学 イデオロギーなし「の科学」? 応用経済学の発展 「価値判断」の必要な現代の経済問題 切り離せない「効率」と「分配」 近代経済学への期待
第7章 スタグフレーション下の政治の論理と経済の論理
エコノミストの「責任」を超える現状 資源問題の本質は「政治」 インフレ問題をめぐる「政治」と「経済」 必要な「政治経済学」的分析
第8章 経済活動のモラルとルール
悪者をつまみ出せ 厚生経済学のルール ルールのあり方と適用 「非常事態」の考え方 モラリズムの危険性 第8章への補論
第9章 経済学と生きる時間
経済学と時間 時間の「希少性」 価値ある時間とは 抽象的欲求と時間 時間と金の補完性 財・サービスの効用と時間 ふえた自由時間 豊かな時間のために
第10章 物価指数の「実感」とは何か
感覚的判断と主観的印象 物価の感覚 困難な「生活水準」の表現 グループ別物価指数 個別物価指数 品質と効用
第11章 確率の社会経済的役割
保険と確率 確率と責任 公害の責任 災害と確率 裁判と確率 むすび
第12章 生命における「ばらつき」の意味
個体間のばらつき 個人差の分布 偶然性の作用 精神的な特性について 自然の原則と個性の尊重 人間としての立場
第13章 経済における数量の意味
資本主義経済の数量的性格 数量の基礎としての価値形態 貨幣 価値の実体化 社会主義経済と数量的合理性
第14章 国富論統計学−経験的計量経済学の先駆者としてのアダム・スミス
経済学の「合理的」性格 十九世紀の古典派経済学と「古典的統計学」 政治算術とスミス 『国富論』に対する視点 「富」の概念と分業 分業の利益 労働価値論 賃金と成長率 資本の概念 「見えざる手」 むすび

「第9章 経済学と生きる時間」の議論は、アテンション・エコノミー論の先駆けといえるのではないでしょうか。
本書を読んで気付いたことは、統計学と経済学とのあいだで、その背景にある科学哲学に違いがあるのではないかと言うことです。近代経済学者は科学哲学で言うところの科学的実在論(wikipedia:en:Scientific realism)の立場に立っているのに対して、統計学者は構成的経験主義(wikipedia:en:Constructive empiricism)に立っているように思えます。つまり真理の探究ではなく経験的に十全なな理論をつくることを目的としているということです。林知己夫先生の本を読んでいても同じような印象を受けますし。
それにしてもこの本も絶版なんですよね。著作者、出版社がGoogleの動きに抗議する前に、権利と裏腹の関係にある流通させる義務を果たしてほしいと思う今日この頃。