サイエンティスト=エンターテイナー?

ちょっと異論がでそうなタイトルですが。
savid氏の「文字通りのLife Huckかぁ:赤の女王とお茶を」で紹介されていた、Hash氏の「プログラマーに比べ、バイオ研究者に飛び抜けた才能が現れない理由のひとつ:バイオ研究者見習い生活 with IT」を見て思ったこと。サイエンスの推進力って、結局実用的かというよりはわくわく感だよなあと。とはいえ、現実はSavid氏も述べているとおり:

日本ではそうはいかないけれど、いずれにしろどっかからお金を取ってくる算段を付けないと自由ってのは難しい。
回りまわって、特に私らの世代に関しては実用ということを意識せざるをえないんだなぁ。そうでなくては、「基礎科学がいずれは役に立つ」という言説が説得力を失ってしまいますんで。
アメリカには原爆からコンピュータ、バイオまで「基礎科学がやがては国を支えた」成功体験がゴマンとありますが、日本には残念ながらまだこれというものがない。

現実にはすくなからずの額の研究資金が必要ですので、いかに自分の研究が役に立つかアピールして四苦八苦しながら研究資金が調達されています。まあ、将来何が役に立つかなんて予測するのは不可能といっても言い過ぎではなく、ブームになったテーマがものにならなくて人物金がいつのまにか去っていたり、道楽と思われていた分野が一転現実の世界で大活躍したり。
まだ子供時分、暗号戦争の本を読んでいたら暗号の具体的な仕組みに興味をもって、「暗号の数理―作り方と解読の原理 (ブルーバックス 421)」を読んだときのことです。その前に読んだ暗号戦争の本は基本的に第二次大戦までの内容ですから、いかに暗号鍵を隠すか、またはそれをいかに暴くかがテーマな訳です。隠すべき暗号鍵を公開してしまうというRSAの公開鍵方式が特に印象的でした。そのような矛盾したように思えるやり方のベースに、それまでいって悪ければ趣味の世界であった数学基礎論があると知って、何が役に立つことになるのか分からないものだなあと感じたのを未だに覚えています。
スポーツやエンターテイメントの世界と同じく、楽しいと思わせてくれたらお金を出す、そうでなければお金をださないという割り切った部分があってもいいのかも。そういった点でもアメリカでは良い意味でのエンターテイナーとしてのサイエンティストが多いなあ。
まあ、これが行き過ぎると論文ねつ造とか盗用になってしまう危険性もはらんでいますけど。その危険性は実用を問いすぎても同じかな。