思いこみで判断しないための考え方

科学的に考えるとか何かということを易しく解説したのが竹内薫氏の「99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)」です。

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

その数学が戦略を決める」を読んだ後、データに基づいて考えるという実証的思考の、そのさらに根底にある科学的思考法を再確認しようと思って読み直したのですが、当然のように思いこんでいた部分を再認識させられました。
第2章の「自分の頭のなかの仮説に気づく」を読んでみて、注意していてもプロパガンダにあおられすぎた部分がやはりあったなと。
「いくらデータを集めても無駄」という節で、

だから、いくらデータを集めて帰納したところで無駄なんです。枠組みそのものを壊すようなことは、データの蓄積ではあり得ないんです。
では、どうすればいいのかというと、まったくべつの枠組みを考えないといけないわけです。いま機能している仮説をひっくりかえすようなべつの仮説をだれかが考えて、それに基づいて考えていかなくてはならないんですね。

とありますが、確かに。新たな「仮説」を持たないで、存在するデータに統計手法を適用したり、データマイニングしてみても、革新的な結果は得られないと。以前「社会現象を数値に基づいて判断する」というエントリーで、

現段階では気付かれてもいない法則があったとしても、それは取得されたデータの中に現れてきます。そのデータの中に隠れた事実を見つけ出し、その結果に基づいて判断した方が、専門家の経験に基づく判断よりも適切になりつつあるということがこの本の主題です。

と書きましたが、データを手法で処理すれば新しい「仮説」が生み出せると主張しているという感じですよね。実際に実証的アプローチが有効であるのは、「思いこみをくつがえす必要条件」とい節での、

古い仮説を倒すことができるのは、その古い仮説の存在に気づいていて、そのうえで新しい仮説を考えることができる人だけなのです。

という条件が必要ですね。簡単なようでいて、なかなか難しいなあ。この本に書いているように、本当に革新的な発見って、後世の人から見ると当たり前にしか思えないことが多いわけで、古い仮説の呪縛を断ち切るのはなかかなできません。。
なんか、経験的、規範的なアプローチに対して批判的な本を紹介したエントリーが続いているような気がしますが、経験的、規範的なアプローチを否定している訳ではありません。科学的思考が有効だからといって、すべての行動をこのようなアプローチでしたら何もできないでしょうが(苦笑)。経験的、規範的アプローチはコスト的に有利である場合が多く、実際近代社会成立の必須条件であったりします。法律や標準規格があるおかげで、いちいち確かめなくてもビジネスや生活が効率よく送られているわけですし、日常経験に基づく信頼関係は資本主義が成り立つための必須条件であると思います。
以前は情報技術のコストが高くて易々とは適用できなかった実証的アプローチが、情報技術のコスト低下によって実用的になってきて、経験的アプローチに置き換え可能な部分も出てきたのではないでしょうか。情報技術のコストが下がったとはいっても、人の行動に関するデータ取得コストは未だに高く付きますので、その辺のバランスをどう取るのか、議論が続くと思います。