経済人=群衆の叡智の人格化

経済人について哲学的に難しく考えてしまいましたが、経済人とは群衆の叡智の人格化であると考えればすっきり。前に群衆の知恵とか書いているのに、あらぬ方向に思索がすすんで失念していました。

「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい

ある程度実証的背景もありますし。個々人に意見の多様性、判断の独立性、意志決定の分散性があって、意見を適切に集約集約するメカニズムがあれば、全体としての意思決定は合理的経済人であると仮定してよいと。そして、その前提が成り立たない条件では、経済人を仮定した場合には説明がつかない現象が発生すると。あまり特定の主義とかに基づかない経済人の仮定ならこんな感じで説明するとよさそう。日本人は話し合いで決めるのが好きですから、このように経済人を説明したほうが、個人の合理性について説教するような感じになるよりは受け入れやすそうです。もちろんここでの経済人はいろんな人の顔を合成した「平均顔」みたいなものですから、個々人の行動を説明しようとするとまた別な理論が必要で、それが行動経済学になるのかな。そして、経済人とは集約された意見に基づく仮想的な人格ですので、企業とかの集団間での取引のほうがうまく説明できるのかな。