正誤の世界、良否の世界

先日取り上げた「「拒否反応」がなくなり実用段階に入った「フォーマルメソッド」:ITpro」という記事をみて、天の邪鬼な私はそういえばゲーデル不完全性定理(wikipedia:ゲーデルの不完全性定理)とかチューリングマシンの停止問題(wikipedia:チューリングマシンの停止問題)とかが想起されてしまって、「不完全性定理―数学的体系のあゆみ (ちくま学芸文庫)」を今度こそ最後まで読んでみました。

不完全性定理―数学的体系のあゆみ (ちくま学芸文庫)

不完全性定理―数学的体系のあゆみ (ちくま学芸文庫)

相変わらず肝心の問題自体は理解したとはとてもいえない状態ですが、数学者のものの考え方が何となく分かって来たように思えます。
前取り上げた「99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)」の「第4章 仮説と真理は切ない関係」を読んでもらえば分かりますが、もともと科学は自然哲学として哲学の一分野であると捉えられてきました。科学が実証という面をより重視することによって、現在では起源を同じくするとは見えないくらいに分かれてしまいました。そして数学はあくまでも哲学としての色合いをより純化させていったように思えます。科学が追い求めることができるのは、あくまでも「仮説」だけ。その評価は対象とする現象をどれだけうまく表現できるかという、いわば「良否」の世界です。それに対して、数学は「定義」、「公理」から出発し、「定理」の「証明」によって「正誤」が判定できます。そこはいわば「真理」の世界なわけで、哲学が追い求めているものと同じではないでしょうか。その辺の違いを意識しているひとは「数学は科学じゃない」とか言ったりします。そして、社会科学の分野において論争の種になっているような気がします。
この辺の議論は科学哲学(wikipedia:科学哲学)でなされている訳で、結構面白くて深みにはまりそうになります(苦笑)。