経済の「哲学」、「理学」、「工学」

経済とか経済学について語ると、良く水掛け論に陥っているのをよく見かけます。以前のエントリー

経済学批判・反論に関しては、理学的視点、工学的視点、哲学的視点の議論が錯綜していて、そのような中でこんなエントリー書いたことにはとても不安を感じています。

と書きましたが、身近な現象故にか、逆に論点が分かり難くなっているのでしょうね。どのような立場で、どのような現象について議論しているのか、はっきりさせないと自分の中での混乱がさらにひどくなりそうです。一番良く目に付くのが、「経済とかは何か」についての立場の違いではないでしょうか。そこでwikipedia:Portal:経済学での分類が一応のコンセンサスとして、所詮素人である自分なりに整理してみました。同じ「経済」を語ると言っても、哲学的立場、理学的立場、工学的立場があると私は考えています。ここで経済「哲学」、経済「理学」、経済「工学」を自分なりに定義すると以下のようになります:

  • 経済「哲学」:Why、経済がどうあるべきか、規範的立場
  • 経済「理学」:What、経済はどうであるか、現象理解的立場
  • 経済「工学」:How、経済をどのようにするか、目的指向的立場

そのような分類学的観点から、なぜ経済学論争は錯綜しがちなのか考えてみました。

経済の「哲学」と「理学」

近代経済学は経済を理学的に捉えるという現象理解的な立場が強いようにみえますが、経済学は経済という人間の価値観に関係する理論である以上、理論を構築するに当たっての仮定の置き方に規範的な立場が入ってきます。たとえば新古典派につらなる学派の仮定には、その哲学として「神の見えざる手」とかのリバタリアニズムが感じられます。経済学を理学として捉えている人は、哲学的な背景を意識せずに現象を理解するための便利な仮定として使っている人もいるのではないでしょうか。そして、経済学を哲学として捉えている人にとっては、その仮定におけるリバタリアニズムを問題にします。そして、還元論的な方法論でトレーニングを受けた理学的な立場の経済学者は、還元論的方法論に基づいてそのような仮定を置いても現象は理解できると反論します。当然論点がまったくずれていますので、議論がかみ合うわけがありません。
長くなりそうなのでべつのエントリーで書いてみたいと思います。

経済の「理学」と「工学」

経済で工学というと違和感を感じるかもしれませんが、より違和感の無いであろう理論家と実務家とう分け方では、その違いがうまく表現できなかったので。この辺は論争になることはあまりありませんが、「応用経済学」という言葉に思わず反応してしまいました。「応用経済学」という分類には、理学的なものと工学的なものが混じっている印象を受けます。日本では「理工学」とひとくくりに扱われることの多い理学と工学ですが、実際にはまったく別の学問です。たしかに技術(technology)は工学の研究対象ではありますが、工学(Engineering)とは単なる応用理学ではありません。工学的目的の実現のための手段が技術であり、技術を改良するために理学における理論が使われます。工学は、「設計思想」とか「RFP」とかで表現される目的を実現するために、どのように技術を含めた手段を組み合わせていったらいいかを考えるものであると「今では」捉えています。使えそうな理学を駆使して哲学を実現するのが工学といえます。日本の工学教育では、理工学というように括られるように工学は応用理学的に捉える傾向が強いと感じてきます。で、実務における「工学」とのギャップに悩むことが多いのではないでしょうか。私もずいぶん悩んだ一人ですから。
ちょっと経済から離れてきたので、これ以上は別エントリーにした方が良さそうです。