国立情報学研究所のオープンハウスに行ってきました

最近、法化社会へ向かう流れとか、IFRSでプリンシプルベースに変わるとか、人間の努力だけではやりきれなさそうな流れになっていますが、業務として大変だけどシステム化し難しくて結構放置されている課題が有ると私なんかは最近見ています。そこで、いろいろと調べたりとかしていたら、国立情報学研究所のオープンハウスに面白そうな発表が有ったので行ってみました。
まずは民事訴訟で要件事実の立証を論理プログラミングを使って実現することを目指したのが次の研究です:

コンピュータが法律推論?
論理プログラミングによる証明責任を考慮した法的推論
発表代表者 佐藤 健(情報学プリンシプル)
要旨
本発表では、最近行っている法律推論における証明責任についての研究について発表する。証明責任とは真偽値が不明な時に、仮定的に真偽値を決めて推論する手法である。この証明責任を論理プログラミングの失敗による否定により定式化し、その定式化を用いた実際の法的推論の証明過程の実現について述べる。

一般的な要件事実の立証をさせようとするとかなり困難なので、要件事実が比較的整理された訴訟を対象に研究を進めているそうです。裁判官の代わりのシステムと言うよりは、弁護士さんの立証を支援するシステムとなるのかな。訴訟相手の主張と自身の主張をいれて、立証するためにはどのような要件が必要となるかを探索するシステムとか考えられます。またはADRの仲裁人の業務をサポートするとか。
実現する上で一番ネックになるのは、法律・判例などから知識ベースを構築するところでしょうね。法律文章から知識ベースを構築する研究をおこなっている方もいるそうですが。
情報システム、特にセキュリティに関しては守るべき法律、規定を仕様に盛り込まなければいけないのですが、要求分析と形式手法を使って仕様を固めていく研究が次のモノです:

法・規定からシステムへ・システムから法・規定へ
法・規定の同定・洗練とシステム要求の形式化・解析との連動・循環プロセス
発表代表者/共同発表者 石川 冬樹/井上理穂子
要旨
情報システムに関し多くの法・規定が導入されてきている。各組織は、政府等上位組織の定めた抽象的・部分的な法・規定に基づき、具体的・完全な規定を定め、システム要求へと反映していく。本研究においては、この過程を支援するため、法・規定を同定・記述し、システム上の要求に対応づけ解析するための方法論を提供する。特に、改正への迅速な適応と、システム要求分析の結果に基づく規定の洗練のため、反復・循環過程を定める。

セキュリティにドメインを絞って、法規から仕様に落とし込む、また法規の変化や判例に対応して仕様の変更点を導出するような方法論に取り組み始めたとのこと。基本的にはシステム要求分析や形式手法をベースに研究を進めるみたいです。汎用的な方法は現実的にはかなり困難だと思うので、要件が比較的厳密に定義されているドメインに絞ってまずは取り組むのは現実的かな。
でも、法律の問題はいろいろしがらみがありそうで、財務会計の方がまだ取り組みやすいかな。例えば、企業が公表している「原則」をまずは分析して、その結果をもとに発表された財務情報を分析するとか。この分野では、素人にしかすぎないので見当違いな思いつきかもしれませんが(汗)。会計はIFRSのように極力標準化しようという流れが有るのに対して、法律に関しては法体系も違えば、基本的に個別事案ベースという違いも大きいですし。

日本人は本当に訴訟嫌いか?

司法制度改革で日本人の法意識とのズレが批判されたりしていますが、日本人の法意識の定本といえば「日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)」でしょうか。

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

それにしても日本人の方に対する考え方は、大宝律令が制定された時代から変わっていないですね。ちょっとウィキペディア大宝律令(wikipedia:大宝律令)を調べてみると、その成立について次のような記述が。

成立
大宝律令に至る律令編纂の起源は681年まで遡る。同年、天武天皇により律令制定を命ずる詔が発令され、天武没後の689年(持統3年6月)に飛鳥浄御原令が頒布・制定された。ただし、この令は先駆的な律令法であり、律を伴っておらず、また日本の国情に適合しない部分も多くあった。
その後も律令編纂の作業が続けられ、特に日本の国情へいかに適合させるかが大きな課題とされていた。そして、700年(文武4年)に令がほぼ完成し、残った律の条文作成が行われ、701年(大宝元年8月3日)、大宝律令として完成した。律令選定に携わったのは、刑部親王藤原不比等粟田真人・下毛野古麻呂らである。
大宝律令を全国一律に施行するため、同年(大宝元年8月8日)、朝廷は明法博士を西海道以外の6道に派遣して、新令を講義させた。翌702年(大宝2年2月1日)、文武天皇は大宝律を諸国へ頒布し、10月14日には大宝律令を諸国に頒布した。
大宝律令の施行は、660年代の百済復興戦争での敗戦以降、積み重ねられてきた古代国家建設事業が一つの到達点に至ったことを表す古代史上の画期的な事件であった。大宝律令において初めて日本の国号が定められたとする説も唱えられている。
明治時代に法典を整備した理由として本書では次のように挙げています:

これらの法典が西洋的なものにするような現実的な或いは思想的な地盤が普遍的にあったからではなくて、不平等条約を撤廃するという政治的な目的のために、これらの法典を日本の飾りにするという一面があったことは否定できない。

法典成立の理由も似ているような。
また、社会状況が変わったときの対応も、法律の改正ではなくなるべく解釈ですまそうとする傾向も。

我が国では、「慣習法」或いは「条理」を根拠として法的判断基準を示す判決はきわめて稀であり、また、そのような根拠だけで法的判断基準を示す学説もきわめて稀である。裁判所はあらゆる努力をはらって、すべての法的判断基準(実質的には裁判の理由づけ)を、法律の言葉の意味の中に本来ふくまれていたものとして、「解釈」することによって説明するものであり、法律学者もこれをそのまま承認している。そうして、「解釈」というのは単なる見かけの説明でしかないこと、実際にはかなり多くの場合に当該の判断基準ないし裁判の理由づけは、裁判官ないし法律家が法律のことばの意味にもとづいててではなくて「条理」によって考案したものであること、を肯定しない。したっがって、我が国では、一旦法律が制定されたあとは、法律の改正はきわめてまれにしかおこなわれない。

大宝律令も、荘園に代表されるようになし崩し的に改正(?)されて行ったわけですし。まあ、そのほころびが限界にきて律令制は最終的に崩壊したわけですが。
ただ、民事訴訟の法意識については、本書では社会的に訴訟を避ける傾向を指摘していますが、それとは違った指摘もあります。実際、鎌倉幕府には訴訟を取り扱う問注所が設置されていて、現在で言うところの民事訴訟を取り扱っていて、かなりの賑わいだったとか。また、江戸時代の公事宿について書かれた面白いエントリーを見つけました。
福岡県弁護士会 弁護士会の読書:公事宿の研究
公事宿とは江戸時代以下のような役割を果たしていました:


江戸時代の公事宿は、公事訴訟人の依頼に応じて、訴状その他の訴訟に必要な書類を代書し、目安裏判のもらい受け、裏判消し等の訴訟手続を代行するのみならず、奉行所の命を受けて訴状の送達を行い、宿預けとなった訴訟当事者および訴訟関係人の身柄を預かるなど、公務の一端を負担していた。公事宿の制度は、江戸時代の司法制度の一翼をなしていたのである。
公事宿には、訴訟に必要な諸書類の雛形が備え付けられてあり、公事宿の下代(げだい)などは、それによって書類を勘造していた。
なぜこのような公事宿が成立されたのかというと、訴えの多さに幕府が音を上げたという話もあります。それであえて使いにくくしていたとか。

奉行所評定所の開廷日には、訴訟公事は大変繁忙しており、想像を上まわる。腰かけるところがなく、外にもたくさんの人がつめかけた。早朝から300人もの人が殺到している。このように描かれているのです。
まことに、実のところ、日本人ほど、昔から裁判(訴訟沙汰)が好きな民衆はいないのです。例の憲法17条の「和をもって貴しとなす」というのも、それほど裁判に訴える人が当時いたので、ほどほどにしなさいと聖徳太子が説教したというのが学説です。

江戸時代の裁判所の事物管轄は複雑だったので、どこに訴えたらよいのか、簡単には分からない。そこで、公事師が必要となった。
幕府当局は、人民が訴訟手続に通暁して「公事馴」するのは健訴の風を助長するものとして、法律知識の普及を欲しなかった。だから、一般庶民は、法律を知っていても、奉行所に出頭したとき、法律のことはまったく知らないという顔をしているように装うようにしていた。
実際、相対済令を出して、極力当事者間の和解ですまそうとしていたとか。

相対済令(あいたいすましれい)は、日本の江戸時代に出された金公事(金銀貸借関係の訴訟)を幕府は取り上げず、当事者同士で解決(「相対」)することを命じた示談促進法令である。1661年(寛文元年)に初めて出されて以来、数度にわたって発令された。
この法令は、民事訴訟増加による刑事訴訟停滞への対処[1]と旗本層の救済をねらったものであった。しかし、8代将軍徳川吉宗が1719年に出した相対済令は、金公事を永年にわたって取り上げない事を宣した。ただし、利息を伴わない金公事や宗教目的による祠堂銭(名目金)、相対済令を悪用した借金の踏み倒し行為は例外とされた。その結果、金融界を混乱に陥れたため、1729年に廃止された。その後も度々同様の法令が出されている。
民事訴訟において極力和解に持ち込もうとする伝統は、すでに江戸時代には有ったわけですね(苦笑)。このような記述を読むと、日本人がもともと訴訟嫌いというよりも、使いにくい制度になっていたと解釈した方が妥当だと思えます。

安心社会のビジネス

前のエントリーで触れたソーシャルビジネスの姿を考えていたら、山岸俊男氏が「安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)」の中で定義した安心社会を基盤としたビジネスではないかと。

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

グラミン銀行のビジネスを立ち上げたバングラディシュの農村社会はまさに「安心社会」にあたると思います。そして、グラミン銀行の融資システムを見ると、まさにその安心社会を基盤にしているように見えます。

融資システム
グラミン銀行では、貧困層向けに事業資金を融資し、生活の質の向上を促す活動を行っている。バングラデシュにおいては「16の決意」と呼ばれる価値観を広めている。女性を中心にして500万人以上に貸し付けを実施。顧客に対し担保を求めない代わりに、顧客5人による互助グループがつくられる。これは、それぞれが他の4人の返済を助ける義務があるが、連帯責任や連帯保証ではなく、他のメンバーに本人に代わっての支払いの義務は生じない仕組みである。このようなシステムによる貸付金の返済率は98.9%と、通常の銀行と比べても遜色のないレベルを保っている。得られた利益の全額が災害時のための基金にまわされる。
いきなり構造改革で信頼社会への転換を図っても、バングラディシュの貧困層の社会環境では実現不可能でしょうし、無理に強行すれば、安心も信頼も無い混沌とした社会に陥る恐れもあります。それなら、安心社会の社会基盤をベースに状況の改善を図るのは現実的なアプローチであるといえると思います。ある程度経済成長が進めば安心社会から信頼社会への転換が必要にされるんでしょうけど、それは安定した社会ができてからの課題で、今現在の課題ではないと言うところでしょうか。
安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)」が書かれた90年代末の頃は、安心社会から信頼社会へと向かわざるをえないという感じでしたが、最近その流れを逆転しようとする動きが目立ちます。安心は失われ、信頼はまだ築き上げられていない状況の中で、信頼社会への取り組みは次第に放棄され、かつての安心社会へ戻ろうとする動きが高まっている感じです。ただ、すでに鎖国状態では生きていけなくなってしまった日本では、今更逆戻りはできないはずなのですが。

ソーシャルビジネスって顧客=投資家?

2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏による「貧困のない世界を創る」を今更ですが読みました。

貧困のない世界を創る

貧困のない世界を創る

なるほど、慈善団体ではなくあくまでもビジネスとすることで、顧客とのニーズによりかなった方向で運営できるということですか。何を提供したいのかではなく、何が必要とされているかを見いだすのに、商売の基本原理に従うと言うことですね。あと、利益という明確な経営指標がないなかでソーシャルビジネスをうまく経営していくためには、顧客が投資家でもあるという形のガバナンスの存在が必要ではないかと。グラミン銀行の事例を見るとそのようなガバナンスの存在が見受けられます。このあたり、日本で存在した無尽(wikipedia:無尽)とかの仕組みと似ているのかな。まあ、日本の無尽はいまでは第二地銀と普通の銀行になっていますが。
ソーシャルビジネスは日本でも必要とされているはずなんですが、バングラデシュよりも規制の問題で障壁は高そう。あと、このような仕事は公が行うものという意識の存在があるので十分な支持を得ることができるか。これも構造問題の一つ?構造改革論って、本来は新たなニーズに応えたビジネスが盛んに起こるようにして、衰退セクターからいかにスムーズに人・もの・金を移していくかということだと思うんですけど。駄目なものをつぶすということばかりに焦点が当たってしまうのが残念。

名医って?

Chikirinさんが名医の誤診率について「すれ違う前提 (医療編) - Chikirinの日記」というエントリーをアップしていましたが、私も驚きました。その誤診率の低さに。


それは、ある高名な医師の方が退任することになり、大学で最後の記念講義をされた時のことだ。その方は記念講義を聴きに集まった多くの教え子達(大半はベテランの医師、研究者)に向かって「今までの自分の誤診率は約14%であった。」と話されたらしい。*1
その話を聞いて会場からはどよめきが起こった。この講義録は大学の記念誌に掲載されたのだが、何かのきっかけで医療関係者以外の人にもこの話が伝わった。そして、その話を聞いた一般の人達もまた、衝撃を受けた。
しかし、最初の教室でのどよめきと、2回目の一般の人の衝撃は少し意味がちがっていた。自らの「誤診率」などというものを調査し公開するという行為自体には両方のグループが驚いた。しかし最初のグループ(医師、医療関係者)は実はその誤診率の“低さ”に驚いていたのに対し、後者のグループは反対にその誤診率の“高さ”に驚いていた、という話である。
私が昔聞いた話はkamezoさんが「名医の誤診率 - PSJ渋谷研究所X(臨時避難所)」で紹介している以下の話でしたから。

有名なお医者さんが引退なさる時、
「誤診率は、何パーセントですか?」と聞かれて、
「60パーセント。」と答えたとか。
つまるところ、40パーセントしか、正解でないわけよね。
でも、ね、そう名医が答えた時、
「ホォ〜」と、みんなが。
つまり、正解が40パーセントでも、すごいわけだ。

(2004.3.23)

この話覚えていたので、誤診率の低さに驚いたわけです。また誤診率については、診療科によっても異なるイメージで受け取られるかもしれません。でもこの話には続きがあって、なぜそれだけの誤診率であっても名医と言われたかというと、重篤な症例に至りそうな兆候を見逃さないからであるという話だったかと。人間には自然治癒力ありますから、大抵の症例では例え誤診で適切な処置が行われなかったとしても治ってしまうんですよね。重篤な状態に至りそうな兆候を早めに見いだして適切な処置を施して、重篤な状態に至ってしまうのを防ぐ、それが名医だと。私もうろ覚えでなので違っているかもしれません。生命についてまだまだ未解明なところが多数ある中で医療関係者は努力されていますから、現代医学について信頼している一般の方ほど、このような話を聞いてショックを受けるかもしれませんね。あいまいな記憶をベースに書いた記事なので、その点はご了承を。

中等教育でこそ必要では?

法の世界へ 第4版補訂 (有斐閣アルマ)」は、大学法学部以外の学部で教養科目として法学を学ぶ学生を対象に書かれた本です。

法の世界へ 第4版補訂 (有斐閣アルマ)

法の世界へ 第4版補訂 (有斐閣アルマ)

大学生活で遭遇しそうなケースに基づいて、具体的に適用される法律を解説いるので、比較的とりつきやすい本に仕上がっています。法学入門というと、ちょっとお堅い本が多いですが、本書の場合は、日常生活を送る上で遭遇しがちな民法などの私法に焦点を絞っているのが特徴的です。そして、普通の法学入門みたいな本で述べられている話は1章に思い切って圧縮しています。
法律に関する知識は社会人になってから必要に迫られて身につけるのが現状かと。本来高校レベルでこの手の教科書による使える法律知識の教育が必要なのではないでしょうか。日本の中等教育、法律知識に限らず、ライティングとかの基本的なスキルの習得という面では弱いんですよね。法律家ではない一般の人こそ、法律的な問題に直面したらどうしたらよいかという使える知識が必要です。法律知識を知らずに不利な状況に追い込まれてしまうということが、ある程度防げると思うんですけど。

群選択の復活ってマルチレベル選択説のことだったのね

先日のエントリーで紹介したデイビッド・スローン・ウィルソンの群選択的な説には、実はちょっと引っかかりを感じていました。最近進化論を援用した議論で、群選択説が復活したとか書かれているのを見たりしていたんですが、復活したと言われているのって、群選択説のニューモードとしてマルチレベル選択説が唱えられていると言うことだったんですね。


群選択が理論的に起こらないか、現実では起こりにくいだけなのかが再検討されている。「種のための行動」のような考えを支えた、古典的な群選択は基本的には起こらないと考えられている。たとえ群れ間の競争で有利になれるとしても、群れの内部での競争の方が個体に対して強く働くため、真に利他的な形質は淘汰されるからである。しかし個体の移動がほとんど無い、突然変異がほとんど起きない、個体群の絶滅が頻繁に起きるなどの非常に限られた状況下であれば、古典的な群選択も理論的には起こりうる。
また、群れとは何かが再定義されている。群れをどのように定義するかによって、同じ生物を観察しても群選択が成立したりしなかったりするためである。一般的には相互に交配する集団(地域繁殖集団)が群れと見なされる。これをデームと呼ぶ。しかし実際には交配可能な集団の内部に、より小さな集団が存在することもある。このばあい、古典的な群選択はデーム間群選択と呼ばれる。これは上述したように限られた状態でしか起こらないと考えられている。デーム内の小集団の間で起きるデーム内群選択は血縁選択と同じものだと考えられている。
マルチレベル選択
哲学者エリオット・ソーバーと生物学者デイビッド・スローン・ウィルソンは群選択説を再評価し、それを拡張したマルチレベル選択説(多レベル淘汰)を提唱した。彼らはある形質に注目したとき、その形質が影響を及ぼす個体群を形質集団(Trait Groups)と定義した。たとえばビーバーで言えば一つのダム湖に住むビーバーはダムを造るという形質の影響を受けているため、みな一つの形質集団に属する。その中にはダムを造らない個体が含まれていても構わない。子育てという形質に注目すれば、ビーバーの家族一つ一つが異なった形質集団に属することになる。そしてこの形質集団を自然選択を受ける単位と見なし、そこに起きる選択を形質集団選択と呼んでいる。形質集団は地域個体群全てを含む場合もあるし、家族などの小集団の場合もある。一つの個体が複数の形質集団に含まれていると考えられる。つまり、形質集団選択によれば、自然選択は遺伝子や個体だけでなく、家族のような集団といった様々なレベルで働いていると解釈できる。彼らによれば血縁選択集団や互恵的利他行動を行う集団は形質集団であり、マルチレベル選択の一種に過ぎない。
しかし形質集団が大きければ内部からの転覆に弱いというG・ウィリアムスの指摘は有効である。形質集団は規模が小さければ小さいほど選択に残りやすくなる。最終的には実際に働く形質集団選択は血縁選択と同義であり、ウィルソンらもそれを認めている。個体選択説や遺伝子選択説(血縁選択説もこの一つ)が、選択が様々なレベルに起こることを考慮していないわけではない。R.ドーキンスは群選択という語を再び用いるのは混乱の元でしかないと批判している。一方でE.O.ウィルソンやキム・ステレルニーのように一つの現象を複数の視点から解釈することは進化の理解をより深めると擁護する研究者もいる。この議論は現在でも継続中であり、主に生物哲学のトピックとなっている。
群れとは何かについて、単一レベルではなく階層的に再定義して、そのうえで選択を考えると言うことか。基本的な選択のメカニズムは血縁選択説と同じと考えられるという点で、現在主流となっている血縁選択説に必ずしも対立的な説ではなく、古典的な群選択説の復活ではありませんね。